浪人生ジャンピングキャッチャーズ

歴史に残る風来坊になるよ。

宴のあと

友人との決闘の翌日、僕の自転車のブレーキが破壊されていた。

僕の自転車のドリンクホルダーには彼が愛飲している天然水サイダーのからのペットボトルが入れてあった。

犯行は間違いなく彼によるものだと私は気づき、今まで経験したことのない怒りが湧き上がってきた。

これは戦争やな…と

昨日僕は彼のプライドを粉々にへし折ってやった。昨日の決闘の腹いせなんだろう。

彼の家まで殴り込んでやろうかと思ったが、彼の家族に迷惑になるだろうと思ったのでやめた。

夜、僕は腹が立って眠れなかった。風呂も入らずにyoutubeを観たり音楽を聴いたりして気を紛らわそうとしたが怒りを抑えることができなかった。

5時ぐらいまで起きていたが、気がついたら寝ていた。これがふて寝いうやつなんだろうか。

そして12時ごろに起きたのだが、一晩たってもなお、まだ怒りは静まっていなかった。

僕は彼が自転車を止めている駐輪場へ向かった。

自転車の前輪後輪を解体して、100均のダイアル錠で彼の自転車の後輪と駐輪場の柱をくっつけて取れなくしてやった。おまけに自転車についている布製のスマホ入れのようなものの中に近くに生えていた草をありったけ入れてやった。

彼が怒って仕返しをしてくると予想できたので、僕の自転車は家の庭の隅に隠しておいた。

きっと彼は1000通りくらいある鍵を必死になって開けようとするだろうと思っていた。

少しすると、彼から 『俺らはお互いに捕まるから 』

などといった内容のラインが送られてきた。

何を言ってるのだろうと思っていたのだが、

なんと、彼はあろうことか器物損壊の被害届を警察署に提出していた。

僕は警察署まで連行されることになった。器物破損及び暴行罪の疑いをかけられていた。

生まれてこのかた警察のお世話になったことはなかった僕は驚いた。

警察の取り調べは19時ごろから始まって解放されたのが22時ごろだった。

取り調べというのは僕と彼の間に起こった一連の流れを紙にまとめていくといったようなことだった。

人が二人までしか入れそうにない小さな部屋に入れられた。警察官の方と向き合って2時間ぐらい過ごした。

そこで自分の中の暴力というものと刑法上での暴力のズレを感じた。

取り調べの後、僕の親と彼の親と彼と対面した。

まだ18年しか生きてないが、これ以上気まずい空気感を味わったことがなかった。彼もなんだか落ち着きのなさそうにしていた。

その場で今まで一連の流れを全て謝罪した。

警察官の説教はその場でも続いた。

後から聞いた話によると彼は自転車を解体されてダイアル錠をかけられた事件だけを警察に説明し、被害届を出して僕を逮捕させるつもりだったらしい。

その話を聞いた時僕は驚いた。

いつも論理的な考えをしていると思っていた彼がそんなことをするなんて思えなかった。

警察に被害届を出すということは過去の自分の行いも白日の下に晒されるとは思わなかったのだろうか。

僕は彼の目に痣をつくった。警察官は彼の痣の原因を聞いた時、彼は電柱にぶつけた と言ったそうだ。

きっと彼も結局は嘘がバレると思っていたけど、それでも被害届を出したのだろう。 自分がいない間に自転車を使えないようにされることは僕も経験したように腹が立つ。

やはり彼も相当頭に血が上っていたのだろう。

署での取り調べが一通り終わった後、彼の自転車が拘束されている駐輪場に向かった。

そこで錠を外して自転車を元どおりに組み立てた。

後になってから考えると相手の自転車に悪戯する節度を守っていてよかったなと思った。

警察官の方は自転車のタイヤが取り外しできることをわかっていなかったし、僕がその時点での自転車の機能を奪っていたから器物破損の疑いをかけていたのだ。

あれは組み立てれるから、なんて言うことは言い訳に過ぎなかったらしい。

家に帰ってから、父親に電話で事件の経緯を説明することになった。

自分にとってはこれが一番辛かった。浪人生という身分でありながら、親に迷惑をかけてしまったのだから。

それにもしものことがあれば、本当に償いきれない罪を背負うことが考えられたからだ。

彼は仲の良い友人だった。 だからこそこんなことまで発展したのだろう。

けれども僕は、もし今僕が犯行を及ぶ前にタイムスリップしても、彼の自転車にはなにかしら報復をしないと気が済まないと思う。

親や警察の前では口が裂けても言えないが、彼と同意の上での喧嘩はお互いの日頃の鬱憤を晴らすためには良かったと思う。

この行き所のない怒りはどうすればよかったのだろう。