浪人生ジャンピングキャッチャーズ

歴史に残る風来坊になるよ。

ボーイズオンザラン 花澤健吾

花澤健吾という漫画家が2008年ごろに描いた漫画 ボーイズオンザラン を読んだ。

あらすじは、三十路直前の主人公が会社の後輩の女性と仲を深めていくといだだものだが、残酷な現実に直面してしまう話だ。

少年漫画だとマイナスな出来事があったら次にはプラスのことが起こるお決まりがあるが、この漫画はとことん残酷な現実を描いてる。

交際していた会社の後輩も、親しかったライバル会社の社員に寝取られ、捨てられた。

それに腹を立てて決闘を申し込むも返り討ちになり、1発もパンチを当てられないまま終わった。

1巻から10巻まであるが本当に報われない。

みててこちらまで苦しくなってくるような災難に苛まれる。

それでも必死に目の前のものに取り組もうとする写真には映らない美しさに感銘を受けた。

 

今まで読んできた漫画とは違った主人公の状況がとにかくかっこ悪い。ダメな奴はなにやってもダメな現実が描かれてる。

読んでいて途中で感情移入して辛くなった。

だけどそのカッコ悪さが主人公の唯一かっこいいところなんだろうと思う

 

ネタバレ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ラストのシュウマイの持ってた爆弾の罪を被って五年間網走刑務所に投獄されて、その出所シーンは感動した。

今まで女に騙されて、彼女ポイ捨てられて、チャラついたライバルにボコボコにされて、営業の仕事も退職して、必死に振り向かせようとしてやっとできた新しい彼女も既婚でその旦那に花の骨折られたりもう目も当てられへんほどの屈辱を合わされて、ラストはボクシングジムの弟分の罪を被って逮捕。

もう散々な人生やったけど、出所した後、そのプロボクサーになった弟分と新しい方の彼女が五年間も待っててくれて再開するっていうシーンなんや。

そこからは描かれてないねんけど、やっと報われたなぁって感じやな。

やっぱり何やってもダメな人間でも壁にぶつかってるうちに手に入れれるものがあるのだろう、、

その壁が高すぎて乗り越えなくてもぶつかって得られるものが少なくても、ぶつかっていかないと成長しないんやな、、

 

 

追い付きたいなら今はトライ

先日予備校の授業が終わったので近くのファミリー人気の高い公園にやってきた。

ラグビーワールドカップの影響で大学でラグビーをやりたいと、愚かにも元帰宅部ながら思ってしまった僕はあろうことか公園でトライの練習を始めてしまう。

ラグビーで1番興奮するシーン、それは間違い無くトライだ。

とくにジャンピングトライというやつがカッコいい。

公園に来てみた僕はジャンピングトライを行おうともなかなか勇気が出ない。

あのような動きは生まれてからしたことがない。

だけども臆していても仕方ないと思い、軽く助走をつけてトライした。

その時の衝撃はものすごいものだった。

鎖骨が折れるとしたらこの延長にあるものだろうと思った。

痛い経験を一度してしまったらもう一度挑戦する気がなくなってしまった。

せめてもの痛みを減らすために肩から地面につけるようやトライの練習をした。

痛みはかなり軽減されたがこれは僕の目指していたトライといえるのだろうか

側から見たらどう映っているのだろうか。

 

 

僕の他にジャンピングトライしたい方は下の動画を参考にすると良いと思います。

https://youtu.be/2D_H4edmAiA

 

キンタマ出せ。握りつぶしたるから。

今夜僕は友人と殴り合った。

高校の同級生であった彼と公園で殴り合った。

僕は冴えなく、内気で人に気をつかってばっかりな人間だ。

彼も決して不良ではなく、どちらかというと教室の端で本を読んでいるようなタイプの友人である。

きっかけは些細なことだった。彼と僕とはよくお互いを煽りあって楽しんでいた。 相手を馬鹿にする言い回しだったり、明らかに理不尽なことをさも当たり前かのように言い出したりする冗談が面白かった。

いつもはお互い煽りあってはいるもののそれを間に受けたりはせずに流していたのだが、今日は違った。

彼からの挑発ともとれる発言に対してどういうことか冗談で済ませずに徹底的に戦ってやろうと思った。

心にゆとりがなかったのだろう。なんてこともない煽り文に対して僕も挑発的な態度をとった。

街が静かになった時、最寄駅の近くの公園で決闘を挑んだ。鈴虫が夜風に吹かれて鳴いていた。

その時は彼個人に対する怒りなんて全くなかった。

とにかく目の前の男を無理矢理地べたに押し付けて謝らせたかったのだ。

彼はボクシングの動画をみているので負ける気がしないなどと言っていた。

喧嘩など小学生以来してこなかった、穏便な学生生活を送ってきた僕がなぜここまで好戦的な気持ちになったのだろう。

公園のベンチに参考書の入ったリュックサックを置き、彼は殴りかかってきた。

彼の右ストレートは僕の顎をかすった。

僕は完全にスイッチを切り替えて向かっていった。

しかし彼は前傾姿勢で向かっていった僕の腹を蹴り上げた。

痛みはなかった。そのまま僕は彼の首を抱えて地面に投げつけようと試みた。

彼も必死に抵抗しようとしていたが、僕は精一杯の力で雑草の生い茂った草むらに彼を叩きつけて上からのし掛かった。

オラ!謝れや!カス!! あんだけ威張ってたくせに大したことないな!!

などと罵声を浴びせながら拳で殴るのではなく平手打ちをして、彼を辱めた。まさに君が泣くまで殴るのをやめないといったところだ。

謝れや!!オイ!!!!

彼は小さい声でなんどもすみません、と言った

何を反省してんのか言ってみろ!!!オイ!!

彼は黙り込んでしまった。

あの様な状況で自分が何を反省しているのか考える余裕がなかったのだろう。

これは性行為のうえでの言葉責めと同じ様なことが言えるのではないかななんて思った。

僕は圧倒的な優位な状況に満足して、彼の背中から離れた。

僕は今までに体験したことがない興奮状態であったことに気がつくと猛烈に蹴り上げられた腹部に鈍い痛みが現れた。

彼は左目が痣ができていて、涙を流していた。

少しして二人とも落ち着いて、話を始めた。

田舎の俗に言う自称進学校に通うような生徒は殴り合いをすることは少ないだろう。

この経験から2つのことを学べた。

1つ目は絶対に背後を見せるなということ。 戦う意思を最後まで見せなければすなはちそれは敗北を意味する。自分には勝てないと思っても決して逃げてはならない。うまく逃げることができるならばそれに越したことはないが、あの一対一の神経を研ぎ澄まされた空間ではおそらくうまくいかないだろう。 今回は違ったが、本当に恨みの積もった喧嘩であれば容赦することはないだろう。

2つ目は相手が二人以上ならば絶対に戦うなということ。一対一でも相手の動きに手が話すことができないので、複数ならいうまでもない。武道の心得がある場合でも複数を相手にするのは間違い無く避けるべきだ。喧嘩をしている時は頭に血が上って暴走してしまいがちだが、これだけはわきまえておいたほうがいい。

喧嘩 と聞くとものすごく野蛮なイメージがある。

頭が悪い人がすることだと思われているかもしれない。

確かにそうだ。 喧嘩なんてやらないほうがいい。 僕もそう思ってた。

しかし喧嘩がここまで自分に非日常を味わわせてくれるとは思ってもみなかった。

信じられないほどの興奮があった。 今までに無いほど集中力を高めた。

アドレナリンの効果がなくなってから気づくまでの超越体験。

酒やタバコに通ずるものがあるのだろう

 

 

 

すべった思い出を忘れたい

たまに自分が面白い人間であると思ってしまう時がある。ここでいう面白い人というのは人を笑わせることができる人のことである。

 

 

 

若手お笑い芸人の漫才や人気なYouTuberたちが面白いとされているのをみて、これくらいだったら自分もできると思ってしまうことがある。

 

 

 

あまり親しくない友人たちが大したことでもないことで笑っていると、こいつは面白くないやつだなと勝手に思い込んでしまうこともある。

 

 

 

自分は人と話す時にもっと面白いことを言いたいと考えていて、暇な時は身近な出来事でオチをつけて話すということを考えたりしている。

 

 

自分でもとびきり面白いとまでは思わないけれども、最後に締まりのある話をすることに意味があると思っていた。

 

 

 

浪人生活中に人と話すことは少ないが、先日偶然電車で高校時代の知り合いに会った。

 

 

 

そこで日頃の成果をみせようとオチのついた話をしようと試みた。

 

頭の中では相手を笑わせることができる内容だと思っていたけれども、自分が思っていた反応ではなかった。

 

 

笑いの価値観というものももちろんあると思う。

 

しかし僕が反省しているのは思うような反応を得ることができなかった自分が、せめてもの爪痕を残そうと終盤から話をあえて大げさに話そうとしたことである。

 

結果から言えばレッドカーペットの中笑いくらいの反応は得ることができたけど、これじゃあ自分の話を生かしきれてないと思う。

 

 

僕が思ったのはウケようとする気持ちが強すぎると面白くなくなるのではないのか と思った。

 

 

ウケようとする気持ちが強すぎるとどうしても相手が笑うことを言わなければならない。 それによって大げさに話をしたり、わざとらしい感じがどうしても出てしまう。あと必死な感じが出る。

自分も今回の件でかなり取り乱したし、その反省をブログに書くぐらい印象的な出来事だった。

 

 

 

自分の面白さの押し売りは自分が相手を笑わしたいという心からは離れてしまう。

 

 

万人に通用する面白さなんてごく僅かだと思う。

 

 

だから自分が面白いと思うことを芯を曲げずにずっと話していけばいいと思う。

それができるだけの肝が座った人間が面白い人なんだなと思った。

 

 

そういった人間になるためにはこれからもスベることを恐れずに生きていきたい。

スベった分だけ面白いことが言えるようになるはずだ。

 

ツッコミありきのパスとしてのボケではなく、パスされた話題に対するシュートのボケが一番好ましい。

 

 

万人受けする面白さより自分が思う面白さを追求していきたい。

 

 

 

 

いつか自分と面白いと思えるものの価値観が近い人に会ってみたい。

 

 

 

その時までにどこまで肝の座った人間になれるだろうか

土星にやさしく

ミツバチだったらニホンミツバチがよい

 

童話だったら桃太郎でいい

 

宛名は手書きで書けばいい

 

つまみは炙ったイカがいい

 

七不思議は 

桃栗三年柿八年だから柿は食べなくていい

 

 

 

 

今すぐ探しに行かないとはやくみつけないと

 

 

夢に飢えた野良犬 今夜吠えて

 

 

釣りの極意とは悩み続けること。もう帰るのかい?

見えないものとの戦いに本当のロマンがあるよ

 

あぁ、気がつけばユウマズメ 蛍みたいな電気ウキ

 

今やめて帰るのか   帰るのか、、

 

 

役立たずと罵られて 童貞と人に言われて要領よくエクササイズできず、エクセルの使い方もわからない

ワキガ酷いと罵られて この馬鹿と人に言われて

うまい具合に演技できず、愛想笑いすらできない。

 

そんな僕のためにこの星はぐるぐると回る

 

ニコチン中毒者で十分だ 噛みタバコさえあれば生きられる

路上でいつでも踊れる 紙おむつしてりゃヘッチャラ

 

おまえなんていてもいなくても同じ そんなこと言えるあなたは ヒットラーにもなれるだろう

 

 

 

  1. あ〜よいしょ! 歴史を燃やせ

あれぁ時代の荒波しょうへい!

 

あきかぜに まきたつものの 高利貸し せとおうもさへ  

いかがはせむ

 

 

 

これは江戸時代後期の俳人 芝 蒼茫の詩である。

 

背景には当時の江戸っ子の様子が生き生きと描かれていて、東海道物語の一角を担う坂橋堂の一節にも描かれていますね!

皆さんご存知の通り、現在の千葉県我孫子市にある網至高籐像のモデルですね。

 

 

やはり伝統のいう重みが私たち現代人にとってもいいどこか日本人の誇りを感じさせるようでありますね。

なお彼は戊辰戦争中、桃太郎鉄道2を友人とプレーしていた際に喧嘩になり命を落としました。

 

動乱の時代を生きた彼は今の日本をどうみるのでしょうか。

 

彼は将来の日本についてこう言いました。

 

 

 

 

 

 

たたれつつ かつこそあらり まちをずて ももしのかりも あばらおれたり

 

 

 

 

 

 

どうでしょうか? 現代と通じるところがありますね。

先見の明を持った先人たちの声を侮ってはなりません。

彼の子孫である 芝 浩二氏は 元気バーグcolour (株)を創設し月に2回温泉付きの平屋での余暇を過ごし、50度のお湯で体を流している。

 

 

 

 

彼の弟 芝 隆俊氏はNPO法人アンモーニ・グラードで国際的に活躍

先日インド北部のバリダトという小さな村で社会インフラ整備のために出張した。

インドで彼は蜂に刺されてしまい、社会復帰は絶望的となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

吉田奈䟽(52)

 

1975年 東京都足立区で誕生

1978年 バトコート幼稚舎 こども福祉学部入学

1982年 桃太郎鉄道の制作にチーフマネージャーとして参加。 桃太郎鉄道の礎となるキングボンビーの発想に着手

1986年 アムール国際空港にて 閩閤澀と揉め事を起こし左手と右耳を失う

1991年 アパラチア山脈登頂成功する。この時にテレビ朝日の取材で号泣しながら栄光の架橋を歌う

1994年 亜細亜大学 医学部総合ブルーマウンテン学科に編入

1995年 コロラドインターナショナルユニバーシティを私費を投じてクアラルンプールに建設。

1998年 日本に帰国後、暮らしの環境アドバイザーとして入閣。

2000年 ハレーすい星の到来を予知し、地球防衛のため単身宇宙へ向かう

2005年 社交界から姿を消した彼女が突然日本に帰り、国内は歓喜の渦が巻いた。インタビューでの彼女の「いいんじゃない?」という発言が話題となり、ユーキャン流行語大賞にノミネート

2006年 賭け麻雀、未成年売春、覚醒剤所持、近隣住民のペットの拉致の罪、余罪を含めて懲役15年の刑期が言い渡される

2007年 獄中でプリンを食べすぎて死亡

彼女の死後、彼女の母校であったバトコート幼稚舎では500名の園児たちが追悼の意を決して忘れないと近い、近隣の公園の鉄棒に彼女の名前を刻んだ

 

ピンポンダッシュでバカ笑い  甲本ヒロト

ヒロトの作詞する曲は自身の考えをストレートに伝えてる。


意味がわからない歌詞も多くあるけど、それは自分に当てはめて適当に解釈できる。



もうなかなかの歳であるのにインタビューやラジオでは謙虚な姿勢、ライブでは溢れんばかりのエネルギーを爆発させる豪快さ


歌声もものすごく好きだ。あの荒っぽい歌い方が大好きだ。歌が上手、というのは一体どういうものなのか、とヒロトの歌を聞いて初めて思った。


ブルーハーツハイロウズ、そしてクロマニヨンズヒロトは過去のバンドの楽曲は決して演奏しない。リンダリンダや情熱の薔薇や人に優しくなどなど、国民的とも言える楽曲があるのにもかかわらず、今はクロマニヨンズの楽曲しか演奏しない。



ヒロトファンとしては過去の楽曲も聞きたいけれど、後ろを振り返らずに常に今日を生きてるヒロトはものすごくかっこいいと思う。

常に新しい曲を作り出している。


釣り、NBA、バイク、など趣味を題材としたもの

メッセージ性があまり感じられないものも多い。

ヒロトは楽しんでバンド活動を行ってるのだなと思う。


最後に僕の一番好きな甲本ヒロトさんのインタビューでの発言を





楽しいと楽は対極だよ。楽しいことがしたいなら、楽はしちゃダメだと思うよ。楽しようと思ったら、楽しいことはあきらめなきゃダメだね。



心に刻んでいきたい、、、、、

甲本ヒロトさん、、、、健康に気をつけて長生きしてください、、、、


打ち上げるぜ!は・な・び!🎆


オリックスの球団歌スカイのオーケストラバージョン聞いてたら終点まで行ってしまった。


欲望を抑えて健全な精神を育む


見捨てられた裏通りから世界中に向けて大切なメッセージが届くのを君達は見るだろう



鉄砲も 兵隊も 政治家さえもいらないよ












君たちが望むのは自由だけでいいよ





明日はいっぱいジュース飲もう